やせ型の2型糖尿病には、筋トレの方が効く。 — Kobayashi Yukari et al. (2023). “Strength training is more effective than aerobicobic exercise for improving glycaemic control and body composition in people with normal-weight type 2 diabetes: a randomised controlled trial.”

Middle-aged man in gray tank top lifting dumbbells seated on bench

糖尿病の運動療法といえば、有酸素運動が定番です。ウォーキング、軽いジョギング、水泳。

運動で血糖値を下げるには体を動かすことが大事、特に食後に歩いたり有酸素運動を行いましょう—というのが長年の定説でした。

一方、実際の患者さんを診ているとこの定説に疑問を感じることがあります。BMI 22前後の肥満がなく、でも筋肉のつきが悪い印象の患者さんは、適切な食事療法を守り定期的に運動を行い、しっかり薬を飲んでいてもHbA1cがなかなか改善しないことがあります。

そのような患者さんに「もっと糖質を減らして有酸素運動を増やしましょう」と言い続けて本当によいのでしょうか?。

Stanford大学のKobayashi Yukari先生らが、Diabetologiaに「やせ型の2型糖尿病に対する最適な運動療法は何か?」というランダム化比較試験を発表されました。

2型糖尿病は肥満と強く結びついたイメージがありまが、世界的に見ると、アジア系を中心に、BMI 25未満の「やせ型(あるいは標準体重)の2型糖尿病」が相当数存在します。日本もそのひとつです。この患者層は、筋肉量が少ないサルコペニア(加齢や栄養不足などにより筋肉量・筋力が低下した状態)を合併された方が多く、肥満の方とは病態が異なります。

では、どんな運動が効果的なのでしょうか。

研究に対象はBMI 25未満、HbA1c 6.5〜13.0%の2型糖尿病患者。年齢は18〜80歳。外来受診または広告で参加者を募り、筋力トレーニング群(ST群:週3回のレジスタンストレーニング)と有酸素運動群(AER群:週3回のウォーキング・サイクリング等)、ST+AER群に無作為に割り付けました。

筋力トレーニング群は有酸素運動群に比べ、HbA1cの改善が有意に大きく、除脂肪体重(筋肉などの脂肪以外の体重)の増加、体脂肪率の低下も筋力トレーニング群で優れていました。

具体的には、9か月間の介入後:

  • ST群:HbA1c −0.44%(統計学的に有意)
  • AER群:HbA1c −0.24%(統計学的に有意でない)
  • ST+AER群:HbA1c −0.35%

でした。

また、体組成解析の結果、参加者たちは相対的にサルコペニアの状態であり、ST群では筋トレにより脂肪量が低下し、四肢の骨格筋量が増え、脂肪に対する筋肉の割合も改善していたのです。この脂肪に対する筋肉の割合がHbA1c低下と関連していました。

AER群では体重は減っていたもののHbA1cは下がりませんでした。

有酸素運動が意味がないわけではありません。しかし、やせ型の2型糖尿病という集団に限定したとき、筋力トレーニングの方が血糖コントロールにも体組成の改善にも効果が高かったのです。

血糖は筋肉に取り込まれることで下がります。筋肉量が少ないと、血糖を処理できる「器」が小さい状態です。有酸素運動はその器の使い方を改善しますが、筋力トレーニングは器そのものを大きくする。やせ型の糖尿病患者、とりわけサルコペニアがある場合には、器の使い方だけを磨いても限界があるのかもしれません。

肥満がある2型糖尿病患者さんでは有酸素運動+筋トレが最も効果的です。脂肪の減少によりインスリン抵抗性が改善し血糖が下がります。しかし、肥満がない患者さんの多くは相対的に筋肉量が少なく、脂肪を増やすよりも筋肉量を増やす/維持することが大切だと考えられます。

したがって、2型糖尿病患者さんの運動療法は患者さんの体格や病態に合わせて個別化が必要なのです。

この研究における筋力トレーニングは、専門家の監督下で行われた運動プログラムです。実際の外来診療でやせ型の患者さんに「じゃあ筋トレをしてください」と言うだけでは同等の効果は得られないでしょう。どんな筋トレを、どの強度で、どんな頻度で行うかは私たち専門家が指導する必要があります。また、この研究のフォローアップ率は45%と低く、結果の解釈には注意が必要かもしれません。

それでも、このデータは外来の場で患者さんとの会話を変える力を持っています。

やせ型の糖尿病は日本人にも多いです。運動療法の画一的な処方から、体組成に基づく「個別化された処方」へ。

私も日々の診療で心がけたいところです。

(論文はコチラから読めます)

善意の地図には、裏面がある。-Hyman et al. (2026) Growing nickel supply from the tropics threatens priority conservation areas

善意には、たいてい裏面がある。

深海採掘のモラトリアムを求める声が高まっている。

海底に眠るマンガンノジュールや多金属硫化物には、ニッケル、コバルト、マンガンなどが含まれており、電気自動車のバッテリーに不可欠な金属だ。深海は光も届かない極限環境で、生態系の回復速度はきわめて遅い。一度傷つけたら、人間の時間軸では取り返しがつかない。

2026年5月、Nature Ecology & Evolution誌に掲載されたある研究が、そのモラトリアムに疑問を投げかけました。

深海採掘を禁じても、ニッケルの需要は減りません。

減らないどころか、脱炭素の加速とともに増え続けます。

その調達先として浮上するのが、熱帯の陸上・沿岸地域です。フィリピン、インドネシア、ニューカレドニア。世界のニッケル埋蔵量の多くは、生物多様性の密度が地球上でも非常に高い地域と重なっています。

海の命を守るために、陸の命を犠牲にすることになりかねません。

人間が資源を得るということは、他の命の偽性の上に成り立っています。

海底には海底の、熱帯には熱帯の固有種と生態的機能があり、どちらかを犠牲にしていいという論理的根拠は、どこにもありません。

環境問題において、ある選択により得られた利益が、別の場所でコストとして支払われるとき、その選択は本当に良い選択なのでしょうか?

問題を解決するのではなく、問題を見えない場所に移動させているだけのような気がします。

環境保護の言説には、この転嫁構造が潜んでいます。

少し前まで、プラスチック削減のために紙ストローを使っていました。

いつの間にか消えて行きましたが、考えてみれば紙の製造には水と森林資源が必要で、漂白には化学薬品が使われます。プラスチックの問題が紙の問題に変換されているだけ、という見方もできます(海洋プラスチック問題の軽減に意味があるという反論はありますが)。

電気自動車も同じ構造を持っています。

走行時のCO₂排出をゼロにする一方で、バッテリー製造のために採掘する金属の問題があります。コストがなくなったのではなく、別のコストが見えるようになりました。

環境倫理には、二つの立場があります。

「自然には人間とは独立した内在的価値がある」という立場と、「自然の価値は人間にとっての有用性によって決まる」という立場としましょう。

深海採掘のモラトリアムを主張する人の多くは、前者の立場に立っているのでしょう。深海には人間が触れてはいけない神聖さがある、という感覚です。その感覚は、私にもなんとなく理解できます。

ただ、その立場に立つのなら、陸上採掘の拡大も同じ理由で否定しなければ論理的ではありません。熱帯雨林にも固有の価値があります。深海だけが聖域というわけではありません。

今回の研究が問うているのは、「聖域の設定が地理的に偏っていないか」という点だと思います。

深海は見えないので、守るべき場所として聖域になりやすい。一方、熱帯の採掘は写真や動画で記録され、地域住民の問題として報道され、分かりやすい問題に収まりやすい。

深海と熱帯、それぞれの生態系リスクをどのように評価し、どのような条件のもとで採掘を許容するかを考えなくてはなりません。これはかなり複雑な問題で、環境倫理の立場の違いで解決する問題ではありません。

人間は身勝手な生き物です。自分の選択がどこかのコストになっていないか。自分が守っているものの裏面に、誰かの犠牲が写っていないか。

問いを立て続けることが求められています。

Hyman, J., Sonter, L.J., McDonald-Madden, E., Watson, J.E.M., Mervine, E.M., Bull, J.W., Dawson, C., Lloyd, T.J., Luckeneder, S., Maron, M., Mendonca Severiano, B., Raymond, S., Schlacher, T.A., Sreekar, R., Valenta, R.K., Visconti, P., Werner, T.T. and Northey, S.A. (2026) ‘Growing nickel supply from the tropics threatens priority conservation areas’, Nature Ecology & Evolution. Available at: https://doi.org/10.1038/s41559-026-03068-4 (Accessed: 22 May 2026).

腸の「どこが病気か」で、住む菌も変わる。 — Huang Jieqing et al. (2026). “Specific alterations in the gut microbiome and metabolome across disease locations of Crohn’s disease: a systematic review.”

Diagram of gut microbiome changes and intestinal inflammation in Crohn's disease

同じ病気なのに、なぜ治療薬の効き方がこれほど違うのか。

クローン病(Crohn’s disease)を専門にされている消化器内科の先生方が、長年頭を悩ませてきた問いのひとつが、これです。糖尿病の領域でも「患者さんによって治療薬に対する反応がまるで違う」という場面はよく経験しますが、クローン病の場合はその「ばらつき」がとりわけ大きいと聞きます。

今月BMC Gastroenterologyに掲載された、Huang Jieqingらによるシステマティックレビューを紹介します。

テーマはシンプルかつ鋭い。クローン病の「病変部位(どこが炎症を起こしているか)」によって、腸内細菌叢(腸に住む微生物の群れ)と代謝産物(細菌や腸が作り出す化学物質)のパターンが異なるのではないか、というものです。

クローン病は口から肛門まで消化管のどこにでも炎症が起きる病気ですが、臨床的には大きく「小腸型(特に回腸)」「大腸型」「小腸・大腸の両方に及ぶ型」などに分類されます。この分類は治療方針を決めるうえで重要なファクターになっています。

これまでの研究では、腸内細菌のバランスが乱れること(=ディスバイオシス)がクローン病と関係することは知られていました。しかし「部位によって何がどう違うのか」を横断的にまとめた研究はありませんでした。

著者らは、腸内細菌と代謝産物の変化をクローン病患者で観察した研究(48報・クローン病患者さん3,577例)を対象に、部位ごとの特徴的なシグネチャー(微生物・代謝物のパターン)を整理しています。

  • 小腸型クローン病の菌叢

Escherichia coli/AIEC・Fusobacteriumが増加し、Faecalibacterium prausnitziiが著明に減少する。胆汁酸代謝では「回腸での再吸収障害」が主体で、過剰な胆汁酸が大腸に流入し菌叢をさらに攪乱する構造になっている。

  • 大腸型クローン病の菌叢

Lachnospiraceae・Ruminococcaceae という腸管保護的な菌群が失われ、日和見病原菌が占有する。

  • 小大腸型クローン病の菌叢

小腸型 と大腸型の中間的なプロファイルを示す。

  • 全病型に共通する所見

F. prausnitziiの減少が唯一の共通知見だった。短鎖脂肪酸を産生し腸管バリアを保護するこの菌は、部位を問わずクローン病で減少する。

  • 臨床への示唆

腸内細菌叢を病型別に評価することが、プロバイオティクスや便移植(FMT)の精度を上げる鍵になる可能性がある。炎症部位によってターゲットにする菌を変える発想が今後は求められるかもしれない。

そもそもなぜ腸の「部位」によって菌の種類が変わりうるのでしょうか?

小腸と大腸では、酸素の濃度も、pH(酸性・アルカリ性の度合い)も、消化液の種類も、栄養素の流れ方も違います。住んでいる菌の「生態系」がまるで違います。

小腸の回腸(腸の後半部分)では胆汁酸(脂肪の消化を助ける消化液)の吸収が行われ、大腸では短鎖脂肪酸(腸の粘膜を守る化学物質)が盛んに産生されます。炎症がどこに起きるかによって、その生態系が崩れる形も当然異なります。

このレビューが示すのは、部位特異的な微生物・代謝物の変化が存在するという方向性です。たとえば回腸(小腸末端)病変では胆汁酸代謝に関わる菌や代謝産物の変化が目立ち、大腸病変では短鎖脂肪酸産生菌の減少や炎症性代謝産物との関連が示唆されています。

現在のクローン病治療は、生物学的製剤(体の免疫を制御する注射薬)を中心に発展してきましたが、「どの薬がどの患者に効くか」の予測はまだ不完全です。病変部位ごとの腸内環境の違いが、治療反応性の差を生んでいる可能性があるとすれば、将来的には「回腸型のあなたにはこの菌を増やす介入を」「大腸型のあなたにはこの代謝経路を標的に」といった個別化アプローチが見えてくるかもしれません。

この研究はクローン病をテーマにしたものですが、「病気の診断名だけで均一な治療を行う時代は終わりつつある」という示唆を感じます。

糖尿病でも同じことが言えるでしょう。2型糖尿病という病名で括られてはいますが、病態・腸内細菌叢・マイオカインなどの生理活性物質などさまざまなファクターに違いがあり、病気のサブタイプは無数にあります。

診断を個別化し解像度を上げることによって、「なぜこの患者さんにはAが効きBが効かなかったのか」という疑問に答えることができます。

腸内細菌の研究は、かつては「全身の健康に良い」という漠然とした話に終始しがちでした。しかし今は、部位・疾患フェーズ・代謝経路という多層的な文脈の中で語られるようになってきました。

腸内細菌叢についてはまだ分からないことが多いですが、個人の遺伝・生活(生育)環境・免疫などの総体を表していると考えられます。ホリスティックな腸の研究がさらに進むことを期待しています。

(論文コチラから読めます)

AIが私たちの正義感を映し出す鏡だとしたら

Digital interface showing AI ethics concepts: transparency, fairness, privacy with diverse professionals collaborating

朝、苦いコーヒーを飲みながら、スマートフォンのニュースアプリを眺めていると、AIが選んだ記事が次々と表示されます。なぜこの記事が選ばれたのか、その理由は教えてくれません。

初めは「また”見られて”いるな。」という気持ちの悪さを感じていました。

AIの判断基準が見えないことへの違和感は、私たちの日常にも通じるものがあります。会社での人事評価、学校での成績評価、医療での診断…どれも基準があるはずなのに、その全容を理解している人はほとんどいません。

ただ、AIの場合は少し事情が違います。

人間の判断には感情や直感、経験といったAIには理解不能(真似ることはできる)の要素が含まれています。一方、AIの判断は、理論的にはすべて数式とデータで説明できます。それなのに「企業秘密」や「複雑すぎて説明困難」という理由で、ブラックボックスのまま使われているケースが多いのです。

最近のAI倫理に関する研究では、透明性と公正性、プライバシーの三つが重要な柱として議論されています。これら三つの要素は時として対立することがあります。

たとえば、透明性を追求しすぎると、個人のプライバシーが侵害される可能性があります。公正性を重視すると、透明性が犠牲になることもあります(公正性を保つための複雑な調整が、かえって判断過程を見えにくくしてしまう)。

この三者の関係は、まるで三角形の各頂点のように、どれか一つを強調すると他の二つが影響を受ける関係にあります。

興味深いのは、このバランス感覚が国によって大きく異なることです。欧州連合はプライバシーと透明性を重視し、米国は経済効率と技術革新を優先し、中国は社会安定と国家管理を重んじる傾向があります。

見方を変えれば、どの立場も正しくどの立場も間違っています。

私たちがAIに求める倫理基準は、実のところ、私たち自身の価値観の反映でもあります。AIが不公正な判断をしたとき、それは本当にAIだけの問題なのでしょうか。そのAIを作り、データを提供し、使っているのは私たち人間です。

医療の現場で考えてみると、診断支援AIが特定の患者さんに対して偏った判断をする可能性があります。しかし、そのAIが学習したデータは、過去の医療記録から作られています。過去の医療に偏りがあれば、AIもその偏りを学習してしまいます。

AIの公正性の問題は、社会の公正性の問題そのものと言えます。ゆがんだ社会を学習していくAIはいずれひどくゆがんだものになるのではないか?

最近、子どもたちと話していて気づいたことがあります。彼らは「なぜ?」「どうして?」とよく聞きます。大人になった私たちは、いつの間にか説明されないことに慣れていて、経験から「意味がない」と判断することには興味を失ってしまっています。

これからは、AIの時代だからこそ、子どものような素朴な疑問を持ち続けることが大切なのかもしれません。

「なぜこの判断になったの?」「この基準は公正なの?」「私のデータはどう使われているの?」

これらの問いに答えられないAIシステムは、たとえ性能が優秀でも、本当に信頼できるシステムとは言えないでしょう。

透明性、公正性、プライバシー…この三つのバランスを取る作業は、技術的な問題である以前に、私たちがどんな社会を築きたいかという哲学的な問題です。

AIが普及すればするほど、私たちの価値観が試されることになります。便利さと引き換えに何を差し出すのか、効率性のために何を犠牲にするのか。

医療でも技術の進歩と人間的な配慮のバランスが常に問われています。AIの時代も同じです。技術の力を借りながら、人間らしさをどう保っていくか。あるいは新しい人間らしさを、どう創っていくか。

Anonymous. (2025) ‘AI Ethics: Integrating Transparency, Fairness, and Privacy in AI Development’, Applied Artificial Intelligence. Available at: https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/08839514.2025.2463722

うつ治療の未来は「キノコ」にあるのかもしれない。 — Singleton, S.P. et al. (2026). “A living systematic review, meta-analysis and open-data resource of randomized controlled trials of psilocybin treatment for symptoms of depression”

Meta-analysis results of psilocybin-assisted therapy including efficacy over time, forest plot of effect sizes, dosage effects, adverse events, and key findings summary for depression treatment.

シロシビンという名前を聞いて、どんなイメージを持つだろうか。

いわゆる「マジックマッシュルーム」に含まれる化合物として知られるシロシビンが、今や精神医学の最前線で真剣に研究されています。Singleton らが Nature Mental Health に発表した研究は、このシロシビンのうつ病治療効果について、15の無作為化比較試験を統合したメタ解析の結果を報告しました。

「リビングシステマティックレビュー」という新しいアプローチが、この研究の特徴の一つです。

従来の系統的レビューは、ある時点でのデータを集めて分析し、そこで完結しますが、リビングシステマティックレビューでは、新しい研究結果が出るたびに継続的にデータを更新し続ける仕組みになっています。

これは現代の医学研究において画期的なことです。特にシロシビンのような新しい可能性のある治療法では、日々新しい臨床試験の結果が報告されます。その都度、エビデンス全体を見直し、最新の知見を反映できるのは大きなメリットでしょう。

シロシビンがうつ症状を軽減する可能性が、この統合解析から見えてきました。

シロシビンの作用機序は従来の抗うつ薬とは根本的に異なります。セロトニン2A受容体に作用し、一時的に意識状態を変化させることで、脳の神経回路の柔軟性を高めるとされています。いわば「脳のリセット」のような効果が期待されているのです。

まだ多くの人にとって受け入れがたいかもしれません。

最初にシロシビンの研究を知った時は少し驚きました。しかし、医学の歴史を振り返ると、天然由来の化合物が重要な治療薬になった例は数知れません。アスピリン、メトホルミン、モルヒネ、ジギタリス、SGLT2阻害薬—どれも植物由来の成分から開発されました。

シロシビンも同様に、適切にコントロールされた医療環境下では、新たな治療選択肢になる可能性があります。特に既存の抗うつ薬に反応しない患者にとって、希望の光になるかもしれないのです。

オープンデータ・リソースとして研究結果を公開している点も評価したいと思います。

科学の進歩は、Open Science(データの透明性と共有)によってもたらされます。この研究チームが生データを公開することで、他の研究者が独自の解析を行ったり、新しい仮説を検証したりもできます。

精神医学の分野では、研究の再現性や透明性が重要な課題となっています。Open Scienceの実践は、この分野の信頼性向上にも寄与することでしょう。

一方、臨床応用への道のりは、まだ険しいものがあります。

シロシビン治療には、専門的な訓練を受けた医療スタッフによる厳重な監視が必要です。投与中の患者は数時間にわたって特殊な精神状態を経験するため、適切なサポート体制が不可欠です。

また、すべてのうつ病患者に適応があるわけではありません。精神病の既往歴がある患者や、特定の心疾患を持つ患者には禁忌です。

規制の観点からも課題は多いです。現在、シロシビンは多くの国で規制薬物として分類されています。医療用途での使用を認めるには、法的枠組みの整備が必須です。

既存の治療法では十分な効果が得られない患者さんはたくさんいらっしゃいます。精神的な不調が原因不明の身体症状として現れる患者さんも少なくありません。

科学的根拠に基づいた安全で効果的な治療法である限り、新しい治療選択肢が増えることは、医療者にとっても患者にとっても歓迎すべきことです。

このリビングシステマティックレビューが今後どのように発展し、どんな新しい知見を提供してくれるのか。そして、シロシビン治療が本当に精神医学の新たな標準治療となり得るのか。その答えを、リアルタイムで見届けることになるのかもしれません。

(論文はコチラから読めます)

リーダーシップという名の刃

Group of professionals in a meeting discussing charts and graphs on a whiteboard

会議室で誰かが「リーダーシップを発揮しろ」と言う瞬間を思い浮かべてみてください。

言われた人は身構え、言った人は満足そうな顔をする。その場で何が起きているのでしょうか。

リーダーシップという言葉ほど、使う人によって意味が変わるものも珍しいかもしれません。ある人は「指示を出すこと」だと思い、別の人は「責任を取ること」だと考える。

そしてまた別の人は「みんなをまとめること」だと信じている。

実のところ、この曖昧さこそがリーダーシップ問題の核心かもしれません。管理することとリーダーシップを発揮することは、似ているようで全く違う行為だからです。

管理は制度です。組織図があり、職務分掌があり、評価制度がある。

一方、リーダーシップは影響力の行使です(正確には、影響力を通じて人を動かすプロセスと言えるでしょう)。

制度は見えますが、影響力は見えません。

街を歩いていると、さまざまな集団を目にします。工事現場で作業する人たち、カフェで打ち合わせをするチーム、公園で遊ぶ子どもたち。

どの集団にも、なぜか「核」となる人がいます。その人が特別な肩書きを持っているとは限りません。でも、その人が動けば周りも動く。その人が笑えば場の空気が和む。

これが影響力というものなのでしょう。

問題は、この見えない力を「管理」と混同してしまうことにあります。影響力は管理職の特権ではありませんし、管理職だからといって自動的に影響力を持つわけでもありません。

むしろ、肩書きに頼った瞬間、真の影響力は失われるのかもしれません。

考えてみれば、私たちが本当に心を動かされるのは、権威によってではなく、その人の在り方によってです。言葉の選び方、困難に向き合う姿勢、他者への配慮。

そういった日常の積み重ねが、見えない影響力を生み出していく。

ところが組織では、この影響力を「発揮しろ」と命令することがあります。なんとも不思議な話です。

影響力は命令できるものではありませんし、演技で作れるものでもありません。それは人間関係の中で自然に生まれ、育っていくものです。

時には、影響力を持つ人が管理職でないことで、組織に微妙な緊張が生まれることもあります。公式なルートと非公式な影響力のルートが交錯する瞬間です。

この時、賢明な管理職はその影響力を認め、活用しようとするでしょう。一方で、脅威と感じる管理職は対立を生み出すでしょう。

リーダーシップとは「誰かになること」ではなく「何かをすること」なのかもしれません。

人を動かそうとするのではなく、自分が動くこと。答えを与えるのではなく、良い問いを投げかけること。

そして何より、メンバーの可能性を信じること。

人は本来、自分で答えを見つける力を持っています。リーダーに求められているのは、その力を引き出すことです。

真のリーダーシップは容易には得られませんが、私たちは誰しもが誰かにとって影響力を持っている。

その事実を、もう少し丁寧に考える必要がありそうです。影響力は刃のように鋭く、使い方を間違えれば人を傷つけてしまいますから。

しかし、適切に使えば、誰かの人生を豊かにする力にもなる。

歯という時間の証人

Two ancient human skulls and bones partially buried in dry rocky soil at an archaeological dig site

朝、鏡で自分の歯を見る。上下28本(親知らずを除けば)の小さな骨の欠片が、何気なく口の中に並んでいる。

この歯というものは不思議な存在だ。生きている間はほとんど意識しないのに、死後は何万年も残り続ける。肉も骨も朽ち果てた後、歯だけがその人の生きた証拠として土の中に眠っている。

エチオピアの砂漠で、280万年前の歯が13本発見されたという話を聞いた時、その時間的スケールに圧倒された。280万年という数字は、人間の感覚では理解が困難だ。私たちの人生を80年として、3万5千回分の人生が積み重なった時間である。

その途方もない昔、アウストラロピテクスとホモ属の祖先が同じ場所で暮らしていたらしい。教科書では直線的に描かれがちな人類進化が、実際には複数の系統が枝分かれしながら共存していた複雑な樹状構造だったということだ。

これを聞いて、ふと現代の私たちの在り方について考えてしまった。

私たちは無意識のうちに「進歩」という概念に支配されている。古いものは新しいものに取って代わられ、より良いものが生き残る、という単純な図式で物事を捉えがちだ。しかし280万年前の現実は違っていた。異なる人類種が同じ時代、同じ場所で生きていた。

一つの「正解」に収束するのではなく、多様な在り方が並存していた。

現代社会でも、この視点は重要な示唆を与えてくれる。私たちはしばしば「最適解」を求めすぎる。最も効率的な働き方、最も合理的な生き方、最も先進的な技術…。しかし人類の歴史を振り返ると、多様性こそが生き残りの鍵だったのだ。

280万年前の歯が教えてくれるのは、「正しい進化の道筋」などというものは存在しないということだ。

私たちが今ここにいるのは、「偶然の積み重ね」の結果に過ぎない。もしかすると、別の人類種が生き残っていたかもしれない。その世界では、全く違った文明が花開いていたかもしれない。

そう考えると、現在の私たちの価値観や社会システムも、絶対的なものではないことがわかる。たまたま今の形になっているだけで、他にも無数の可能性があったはずだ。

歯という小さな化石が、こんなにも大きな問いを投げかけてくれる。

私たちは「進歩」や「発展」という言葉に酔いがちだが、実際の進化は直線的でも目的論的でもない。試行錯誤の連続であり、多くの枝分かれを持つ複雑な樹のような構造だ。

そして現在も、私たちは進化の途中にいる。

AIが発達し、遺伝子編集技術が進歩し、宇宙への進出も現実味を帯びてきた今、人類は再び大きな分岐点に立っているのかもしれない。280万年前のように、複数の「人類」が並存する時代が来るのだろうか。

朝の鏡の前で、自分の歯を見つめながら、考える。現生人類の28本の歯も、いつかは誰かの研究対象になるのだろうか。その時、化石となった個人の生き様から、2026年という時代の何が読み取られるのだろう。

時間という悠久の流れの中で、私たちは皆、ほんの一瞬の存在に過ぎない。しかし同時に、長い人類の歴史の一部でもある。

Villmoare, B. et al. (2025) ‘New discoveries of Australopithecus and Homo from Ledi-Geraru, Ethiopia’, Nature. Available at: https://www.nature.com/articles/s41586-025-09390-4

昆虫に意識はあるのか。ミツバチが「夢を見る」可能性を示す研究-Chittka et al. (2025). “The exploration of consciousness in insects.”

息子から「昆虫は苦しみを感じるの?」と聞かれたことがあります。「ないんじゃない?」と答えかけて、口をつぐみました。昆虫は楽しさや苦しさを感じるのだろうか?

ロンドン大学クイーン・メアリー校のLars Chittka(昆虫認知の世界的権威)らが2025年に発表した論文は、「昆虫に意識の萌芽があるかもしれない」という、100年以上にわたる議論を丁寧に整理しながら、最新の証拠を積み重ねたものです。

意識とは何か:定義から始める

著者らは「意識とは主観的な経験・気づきの状態」と定義します。感情、自己、外部世界への気づきがそれにあたります。

重要なのは、意識の「確実な証明」を求めるのではなく、「確率を積み上げる」という方法論です。人間同士でも他者の意識を直接証明することはできません。したがって、昆虫についても同じ方法論—類推の積み重ね—を使うことが論理的、というのが著者らの立場です。

感情様状態:ハチは「楽観的」になれる

本論文で最も印象的なのは「感情に似た状態」の証拠です。いくつかの例を見てみましょう。

ショウジョウバエのオスは、交尾の機会を奪われるとアルコールを求める(ストレスとその発散)。

・マルハナバチに「サプライズ報酬」を与えると、ドーパミン依存性の楽観的状態が生まれ、曖昧な刺激をより好意的に評価するようになる。

・コオロギは繰り返し負けを経験するとうつ病様状態になり、抗うつ薬で改善する。

「楽観的なハチ」「うつのコオロギ」という表現は都合のいい擬人化に聞こえるかもしれません。しかし、著者らは、これらが「本能」だとしても問題はないと言います。人間の感情(愛情・怒り・悲しみ)も、少なからず本能的なものです。本能であることは、主観的経験の存在を否定しないからです。

自己と他者の区別:マルハナバチは自分の体のサイズを知っている

意識の重要な要素の一つは「自己認識」です。自分の体のサイズを把握し、それに基づいて行動できる能力です。

実験では、大きなマルハナバチと小さなマルハナバチに同じ隙間を通らせると、大きな個体は慎重に隙間を確認し、体を傾けて通過しようとします。小さな個体はそのまま通過します。これは「自分の体のサイズの認識」なしには説明がつきません。

ミラーテスト(鏡で自分を認識できるかの実験)についても、アリやカミキリバチで試みられています。結果は解釈が難しいものの、著者らは「鏡という概念が昆虫の生態に馴染まない」という方法論的問題を指摘しており、より生態に即した自己認識テストの開発を提唱しています。

予測と注意:昆虫の脳も「予測符号化」をしている

近年の神経科学では「予測符号化(predictive coding)」理論が有力です。脳は常に「次に何が来るか」を予測し、予測と実際の入力のズレ(予測誤差)を最小化するように働くという考え方です。

驚くべきことに、ミツバチの脳でも同様のメカニズムの証拠が見つかっています。覚醒時のミツバチの脳波には18Hzの同期した振動活動があり、これは人間の覚醒・注意を担うベータ波(30Hz)と類似しています。ショウジョウバエの脳でも視覚的注意に関連した20〜30Hzの振動が確認されています。

昆虫の睡眠:ハチは「夢を見る」のか

本論文でとりわけ興味深いのが「睡眠」に関する考察です。

ミツバチには3段階の睡眠フェーズがあることが確認されています。最も深い睡眠では、頭・胸・腹が弛緩し、触角が静止し、刺激への反応閾値が上昇します。ショウジョウバエでも「静かな睡眠」と「活発な睡眠」の2フェーズが確認されています。

van Swinderenらのグループはショウジョウバエの活発な睡眠が、哺乳類のREM睡眠と同様に「予測機械としての脳を較正する機能」を持つ可能性を示しています。この相がない場合、脳は過学習(overfitting)状態となり、柔軟な予測が難しくなるというのです。

「夢を見るかどうか」は直接確認できませんが、脳波のパターンや睡眠機能の類似性は無視できません。

「ロボットでも同じことができる」という反論への応答

「これらの行動はすべてプログラムされた反射でも説明できる」という批判があります。

これに対して著者らは鋭く反論します。「もし昆虫がこれだけ複雑な認知機能を意識なしで達成できるなら、人間でも同じことが可能なはずだ。しかしそれは意識の進化的意義を完全に否定することになる」と。

医師として考えること

苦しみとは何か。意識のない患者さん、麻酔下の患者さん、認知症……これらすべてに「苦しみはあるか」という問いがつきまとっています。

昆虫の意識研究は、医学的・倫理的な問いにつながります。意識の「閾値」を決めることは、誰がどこまで道徳的配慮に値するかを決めることでもあるからです。

この論文を読んで、「確かめられないことでも、確率を積み上げて判断する」という科学の態度の重要性を改めて感じました。

Chittka, L., Skeels, S., Dyakova, O., Janbon, M. (2025). The exploration of consciousness in insects. Philosophical Transactions of the Royal Society B, 380: rstb.2024.0302. Available at: https://doi.org/10.1098/rstb.2024.0302

民主主義の筋力低下

診察で高齢の方の筋力測定をしていると、数値の低下に驚かされることがあります。握力30キロあった方が、いつのまにか20キロを下回っている。本人は「そんなはずはない」とおっしゃいますが…数字は嘘をつきません。

筋力というのは、使わなければ確実に落ちていきます。しかも、その低下は静かに、気づかれないうちに進行します。筋力は人間の身体の力の源です。筋力がなければ身体は動きません。

同じことが、どうやら民主主義という制度にも起きているようです。民主主義を支える「筋力」が静かに失われている。

最新の研究データによると、世界のリベラル民主主義の水準が1985年レベルまで後退したそうです。45カ国が権威主義化の継続的なプロセスにあり、民主化に向かっている国はわずか19カ国。数字だけ見れば、民主主義は明らかに劣勢です。

この現象をどう受け止めるべきでしょうか。

私の世代にとって、民主主義というのは教科書で習った「正しい制度」でした。選挙があって、議会があって、三権分立があって。まるで完成された社会の設計図のように教わりました。

ところが、実際に大人になって見えてきたのは、民主主義の「維持コスト」の高さです。

選挙に行く。候補者の政策を吟味する。政治のニュースに関心を持つ。異なる意見の人と対話する。これらは全て、相当なエネルギーを要する行為です。遅くまで働き、子どもの教育や親の介護など家庭のことでも忙しい現役世代は、政治について深く考える余裕がない人も多いでしょう。

民主主義は「参加型スポーツ」に近く、継続的な練習と体力(筋力)が必要です。

そして現代は、この「民主主義の体力」を消耗させる要因が山ほどあります。

情報の洪水。SNSでの感情的な議論。複雑化する社会問題。グローバル化による地域の空洞化。経済格差の拡大。どれ一つとっても、冷静な判断力を保つのを困難にする要素です。

筋力低下と同じで、民主主義の劣化も「いつの間にか」起こります。ある日突然独裁者が現れるわけではありません。選挙制度は残ったまま、メディアの多様性が失われ、司法の独立性が侵食され、市民の政治参加意欲が削がれていく。

筋力低下を防ぐ方法はシンプルです。使い続けることです。軽い運動でも、継続すれば筋力は維持できます(逆に言えば、使わなければ確実に衰える)。

民主主義も同じなのかもしれません。

完璧な制度を目指すより、不完全でも使い続けること。選挙に行き、議論に参加し、異なる意見に耳を傾け続けること。地味で面倒ですが、これ以外に筋力を維持する方法はないようです。選挙の度に投票率が50%程度では話になりません。

1985年レベルまで後退したという数字は確かに衝撃的です。しかし、加齢による筋力低下と違って、民主主義には回復の可能性があります。人々が再び「使い始める」なら、民主主義はレジリエントです。

4人の子どもたちが大人になる頃、この制度がどんな状態になっているか。それは結局、今を生きる私たちの選択にかかっています。

Varieties of Democracy (V-Dem) Project et al. (2025) ‘State of the world 2024: 25 years of autocratization – democracy trumped?’, Democratization (Taylor & Francis). Available at: https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13510347.2025.2487825

体重変化に不思議なことは何もない。エネルギー収支バランスで決まる。-Liu et al. (2022). “Calorie Restriction with or without Time-Restricted Eating in Weight Loss”

断食するとやせるのか、と患者さんから聞かれることがあります。

時間制限食(Time-Restricted Eating)は、1日のうち食事を摂る時間を制限する方法です。例えば8時間以内に全ての食事を済ませ、残りの16時間は水分のみで過ごします。

この手法に関して、New England Journal of Medicineに掲載されたLiu et al.の研究が注目に値します。

研究デザインは明快です。肥満患者139人を12か月間追跡した無作為化比較試験で、参加者を2つのグループに分けました。

一つ目はカロリー制限のみのグループ。男性で1日1500-1800kcal、女性で1200-1500kcalに制限しました。

二つ目はカロリー制限+時間制限食のグループ。同じカロリー制限に加えて、朝8時から午後4時までの8時間以内に全ての食事を摂るよう指導されました。

結果はどうだったのでしょうか。

12か月後の体重減少は、カロリー制限のみのグループで-8.0kg、カロリー制限+時間制限食のグループで-8.0kgでした。

統計学的に有意な差は認められませんでした。

体脂肪の減少、除脂肪体重(筋肉量)の変化、血圧、血糖値、脂質プロファイルなどの代謝指標についても、両グループ間で明らかな違いはありませんでした。

この結果をどう解釈するべきでしょうか。

まず、時間制限食そのものに魔法のような効果はないということです。体重減少の基本原理は、摂取カロリーが消費カロリーを下回る「カロリー収支」にあります。

時間制限食が効果的に見える理由は、食事時間を制限することで結果的に総摂取カロリーが減るためだと考えられます。夜遅くの間食や、だらだらと続く食事パターンを断ち切る効果があるのでしょう。

興味深いのは、この研究では両グループとも同じカロリー制限を行っていることです。つまり、同じカロリー摂取量であれば、それを8時間で摂ろうが12時間で摂ろうが、体重減少効果に差はないということになります。

時間制限食を実践している患者さんの中には、確かに体重が減った方がいます。しかし、その多くは食事回数や間食の減少により、結果的に総摂取カロリーが減っているのです。人間の記憶は曖昧なので、大抵は自分で気づいていないカロリー摂取/カロリー消費が隠れています。痩せる人はカロリーが減っているし、太る人はカロリーが増えています。カロリーは裏切りません。

一方で、時間制限食を始めたものの、限られた時間内に詰め込んで食べるようになり、かえって過食になってしまう方もいます。

この研究が示唆するのは、体重減少において最も重要なのはカロリー収支であり、食事のタイミングではないということです。

ただし、時間制限食が全く無意味かといえば、そうではありません。

個人のライフスタイルや食行動パターンによっては、時間制限食が食事管理の有効なツールになり得ます。規則正しい食事リズムの確立や、夜間の過食防止には役立つでしょう。

問題は、時間制限食を「痩せるための特効薬」のように捉えてしまうことです。

実際には、持続可能な食事パターンを見つけることの方が重要です。朝食をしっかり食べたい人が無理に朝食を抜く必要はありませんし、夕食を家族と一緒に摂りたい人が午後4時までに食事を終える必要もありません。食事療法は個別化が大切。

体重管理において大切なのは、個人に合った方法で総摂取カロリーをコントロールすることです。

時間制限食はその手段の一つに過ぎません。効果があるとしても、それはカロリー制限の結果であって、時間制限そのものの効果ではないのです。

この研究結果を踏まえると、患者さんには次のように説明できるでしょう。「時間制限食を試してみるのは良いですが、それによって食事量が減らなければ体重は減りません。また、無理な時間制限でストレスを感じるようなら、別のアプローチを考えましょう」と。

結局のところ、体重管理に王道なしです。地道なカロリー管理と適度な運動、そして持続可能な生活習慣の確立が最も確実な方法なのです。

(論文はコチラから読めます)