会議室で誰かが「リーダーシップを発揮しろ」と言う瞬間を思い浮かべてみてください。
言われた人は身構え、言った人は満足そうな顔をする。その場で何が起きているのでしょうか。
リーダーシップという言葉ほど、使う人によって意味が変わるものも珍しいかもしれません。ある人は「指示を出すこと」だと思い、別の人は「責任を取ること」だと考える。
そしてまた別の人は「みんなをまとめること」だと信じている。
実のところ、この曖昧さこそがリーダーシップ問題の核心かもしれません。管理することとリーダーシップを発揮することは、似ているようで全く違う行為だからです。
管理は制度です。組織図があり、職務分掌があり、評価制度がある。
一方、リーダーシップは影響力の行使です(正確には、影響力を通じて人を動かすプロセスと言えるでしょう)。
制度は見えますが、影響力は見えません。
街を歩いていると、さまざまな集団を目にします。工事現場で作業する人たち、カフェで打ち合わせをするチーム、公園で遊ぶ子どもたち。
どの集団にも、なぜか「核」となる人がいます。その人が特別な肩書きを持っているとは限りません。でも、その人が動けば周りも動く。その人が笑えば場の空気が和む。
これが影響力というものなのでしょう。
問題は、この見えない力を「管理」と混同してしまうことにあります。影響力は管理職の特権ではありませんし、管理職だからといって自動的に影響力を持つわけでもありません。
むしろ、肩書きに頼った瞬間、真の影響力は失われるのかもしれません。
考えてみれば、私たちが本当に心を動かされるのは、権威によってではなく、その人の在り方によってです。言葉の選び方、困難に向き合う姿勢、他者への配慮。
そういった日常の積み重ねが、見えない影響力を生み出していく。
ところが組織では、この影響力を「発揮しろ」と命令することがあります。なんとも不思議な話です。
影響力は命令できるものではありませんし、演技で作れるものでもありません。それは人間関係の中で自然に生まれ、育っていくものです。
時には、影響力を持つ人が管理職でないことで、組織に微妙な緊張が生まれることもあります。公式なルートと非公式な影響力のルートが交錯する瞬間です。
この時、賢明な管理職はその影響力を認め、活用しようとするでしょう。一方で、脅威と感じる管理職は対立を生み出すでしょう。
リーダーシップとは「誰かになること」ではなく「何かをすること」なのかもしれません。
人を動かそうとするのではなく、自分が動くこと。答えを与えるのではなく、良い問いを投げかけること。
そして何より、メンバーの可能性を信じること。
人は本来、自分で答えを見つける力を持っています。リーダーに求められているのは、その力を引き出すことです。
真のリーダーシップは容易には得られませんが、私たちは誰しもが誰かにとって影響力を持っている。
その事実を、もう少し丁寧に考える必要がありそうです。影響力は刃のように鋭く、使い方を間違えれば人を傷つけてしまいますから。
しかし、適切に使えば、誰かの人生を豊かにする力にもなる。