BMJ Christmas 2022の論文から

BMJクリスマス特集はちょっと馬鹿げた研究テーマを真剣に考えてみたシリーズですが、昨年もなかなか面白い論文がありました。

Gaesser先生らによるQuantifying the benefits of inefficient walking: Monty Python inspired laboratory based experimental studyと題された論文では、英国のコメディグループ「モンティ・パイソン」によるコント「Ministry of silly walks」に出てくる”バカ歩き”のエネルギー消費量を定量化しました。

13名の健康な被験者に、普通の歩き方、バカ歩きその①(ピューティー氏の歩き方)、バカ歩きその②(ティーバッグ氏の歩き方)3通りの歩き方を実演してもらい、酸素摂取量とエネルギー消費量を計算しました。

その結果、ティーバッグ氏の歩き方は、通常の歩き方と比較してエネルギー消費量が約2.5倍となりました。

「Ministry of silly walks」の動画を見ていただければ分かりますが、よくこんな変な歩き方を被験者にやらせたなあ…と。さすがBMJクリスマス特集号。

無駄のない効率的な生活が良しとされますが、痩せるためには無駄のある体の動きが重要です。

休憩中の素振り(ゴルフ、テニス、野球…etc)や貧乏ゆすりなど、何かを得ようと意図的に行うものではない体の動きーすなわちNEAT (Non-exercise activity thermogenesis)が健康の礎となることが分かっています。

私も、誰も見ていないところで、無駄に突き・蹴りの動作をやったりしますが…体力づくりのためにジムに行こうとか痩せるためにウォーキングをしようとか、意図的にやる運動はそれなりに心のエネルギーを必要とします。

一方、ついついやってしまうNEATは、ストレスフリーです。

NEATになるくらいその”運動”を好きになって続けることが必要かもしれませんが、みなさんも何でもいいので自分だけのNEATを見つけてください。

膝

肥満を合併した糖尿病患者さんはしばしば膝を悪くされます。

身体の重さが膝に負担をかけ、関節軟骨がすり減り、変形性膝関節症に至る。悪化すれば手術することもあります。

膝を悪くすると痛みのため歩かなくなり、座りがちな生活が続き、そして太ります。

太るとさらに膝に負担がかかり膝関節症が悪化する…一度陥ってしまうと抜けられない負のスパイラルです。

40-50代の内に適正体重を保つことがいかに重要であるか、患者さんの姿を見て痛感します。

膝は武術・武道においても要となる部位です。

膝の向く方向が体全体の力が伝わる方向であり、腰と同様、攻撃力の要です。

また、膝関節は下半身の”急所”でもあります。

膝関節を破壊されると立つことが出来ません。足を使えなくなれば、負けます(死にます)。防御の要でもあります。

私が修練している心体育道では膝関節蹴りを多用します。膝関節を破壊する蹴りもあれば、膝関節の屈側(内側)に力を加え崩す技もあります。

競技空手では禁じ手とされている技ですが、護身の技としては極めて有効です。

他にも踵で膝蓋骨(膝のお皿の骨)を破壊する技もあります。

運動療法において足を使うことは必須ですので、”良い”膝は健康管理に欠かせません。

また、武術・武道において膝を”正しく”使うことは要です。

膝を守り、(膝周りの筋肉を)鍛えることは、長く生きていく上でこの上なく大切なことだと思います。

MPHについて・破

1st SemesterはHealth Promotion Theory & Methodsというコースを履修しました。

現在Final assignmentに取り組んでいますが、Mid-term assignmentの評価はexcellentには届かず…でした。

University of DerbyのMBAのassignmentと異なる点がいくつかあります。

MBAでは課題のコンテクストがある程度限定されていました。

例えば、「国際宇宙ステーションを運営する上でのリスクマネジメントについて述べよ」みたいに初めから状況設定が決まっていました。

一方、MPH(現在履修しているコースだけかもしれませんが)ではコンテクストの設定は学生に任されています。

例えば、「自分の属する国・地域など慣れ親しんだ社会環境において、健康格差を解決するためのプランを立案せよ」みたいな感じです。

私はコンテクストを限定されない方が回答しやすい(好きに書けるから)ですが、採点する側は結構大変なんじゃないかと思います。実際、MBAのassignmentはかなり細かく評価されていましたが、MPHのassignmentの評価はやや大雑把な印象を受けました。

University of Manchesterでも客観的な採点基準は事前に明示されていますが、それってコンテクストに依存するんじゃないのかと感じるところがいくつかあります。

採点者も自分の知識や経験のバイアスから逃れることはできないので、まったく知らないコンテクストをベースにした回答は評価しにくいでしょう。

ということで、今回のMPHのassignmentではコンテクストを簡潔に分かりやすく説明することが重要と感じています。我が国の健康課題についてしっかり論じたいと思います。

課題の評価しかり、論文の査読しかり、評価者次第じゃないのかと思うことがしばしばあります。

バイアスが入らないように個人情報をblindingするのですが、評価者の”好み”をblindingすることはできません。

本や映画の評価も難しいですよね。

より多くの人から肯定的に評価されたものが本当に良いものなのか、プロモーション(お金を使う)による評価の底上げをどう考えるか(実力の内?)、本当はあってはならないことですが(よくある)、著者・製作者と評価者の”つながり”がある場合どうするのか?

すべては人のなせる業と言ってしまえばそれまでですが。

本を書きませんか?

最近、カナダの大学教授とイランの新進気鋭の研究者から、Effects of functional foods on diabetesというテーマで本の一章を執筆してくれないか、との依頼を受けました。

ほぼ同時に同じようなメールを受信して少し驚きましたが、一体なぜ私なんだ?というのが正直な気持ちです。

確かに、Functional foods for type 2 diabetesという論文を数年前に執筆しましたが、私は決して機能性食品の専門家ではありません。

「私でいいのか?」という旨の返信を送ったところ、「お前で良いのだ。」という回答であったため、この仕事、謹んで受けることにしました。

原則、貴重なお仕事のお誘いは断らない、自分がお役に立つのであれば執筆活動は本望、本懐であります。

ちなみに、日本の出版社から”自費”出版のお誘いを受けることもありますが、全力でお断りしております。

いいカモになるだけですから。

…

ある程度業績(英語論文)ができると有象無象の学術誌から論文投稿の依頼が来ます。

「ハゲタカ雑誌」は論外ですが、私は以下の条件を満たせば原則お断りしない方針です。

  1. 投稿・出版に際してお金(article processing charge)を取らない。
  2. 雑誌がPubMedやScopus,Embaseなどの信頼できるデータベースに収載されている。オープンアクセス誌の場合、少なくともDOAJ (Directory of Open Access Journals) に載っている。
  3. Editorial managerではなく、Editor自身が招待メールを送っている。

今回のお誘いは両方ともEditorである研究者が直接コンタクトしてきました。出版社もElsevierとCRC pressということで信頼できます。

あとは書いて、書いて、書きまくるのみ。

残念ながら、いわゆる一流学術誌からお誘いを受けたことはありません…力量不足ですね。

いつの日か、我が国の出版社からも、「本を書いてくれませんか?」と依頼を受けたいものです….。

商業出版の場合、出版社は”売れる”本にしなければならないので、いくらかはエンターテインメントの要素が必要でしょう。

著者の社会的地位・知名度が超重要なのは言うまでもありません。

自分はまだまだその領域に達していませんが、ひとつの目標として、今後も研鑽を積みたいと思います。

歩くということ

ヒトが進化して獲得した直立二足歩行は、骨盤の位置を上下させ(片足の膝関節が伸びきった時に高くなり、足を前に踏み出して両足が接地した時に低くなる)、四足歩行よりエネルギー効率を高く(位置エネルギーを運動エネルギーに変換する)しました。

一方、武術では腰の上下や体軸の左右のブレを嫌います。

一般的には、重心の変化によって自分が不安定になることを避け、四方八方に素早く移動するため、上下左右のブレをなくし体の安定を保つことが目的だと考えられます。

私も道場生にそのように指導しますが、本当にそうかな?と思うことがしばしばあります。

“歩く”ということは、ヒトの生活の基本動作ですが、武術の奥義と言っても過言ではありません。

実は、良いとされる歩法は武術の種類・流派によって異なります。

私はあまり歩き方を指導することはなく、立ち方・足運び・各技を何度も何度も繰り返すことによって、自然と最適な歩き方になるはずだ、という考えを持っています。

さらに言うならば、私は万人にとって正しい歩き方があるのではなく、一人一人最適な歩き方が異なると考えています。

正しい走り方、正しい投げ方、正しい泳ぎ方…etc。

スポーツにおいても”正しさ”を指導することが多いと思いますが、考えてみれば人間はひとりひとり筋肉の質・量、骨の長さ・太さ、関節の位置・柔軟性が微妙に時に大きく異なっているわけで、万人にとって”正しい”身体操作なんてあるはずがないのです。

遺伝子レベルでの医療の個別化と同じように、スポーツと武術・武道における指導も個別化が必要と思います。

道場生の動きを見て「それは間違っている。」と言うことはありません。

もちろん、筋肉と骨格のバランスを崩し体を痛めるような歩き方は直すべきですが、何年もの間続けている歩き方はある意味その人において最適化されていると思われます。

歩き方はその人の経験や性格、その時々の感情など含め、”人となり”を表すとも言えます。

「人生の歩み」という言葉が示す通り、歩くということはその人の人生そのものであり、武術・武道においてはその神髄であると思います。

MPHについて・序2

英国大学院へ入学を検討する際、コースの選択や学費、英語力テストに加えて準備しなくてはならないのが、推薦状(reference letter)です。

一般的にはアカデミックなバックグラウンドを持つ人物二名から推薦状をもらい提出する必要があります(コースによってはビジネス関係でも許される)。

私の場合、大学院博士課程の指導教官とMBAのsupervisorにお願いしました。

大学院の募集要項にも”推薦状は入学選考において極めて重要である”と明記されています。

大学院側はどこの馬の骨とも分からない輩を入れるより、バックグラウンドがしっかりしていて、後々大学院の名声を高めてくれる可能性が高い人物を入れたいわけです。

忙しい中推薦状を書いてくださったお二人には感謝しかありません。こうしたつながりは大切に大切にしていきたいと思います。

ふと日本の大学院ではどうなんだろうと思い、”日本””大学院””推薦状”でネット検索してみたところ、トップに表示されたのがこのサイトです。

著名な経済学者である林文夫先生の推薦状(経済学PhD?)に関する投稿のようですが、要は、「私は甘っちょろい推薦状は書かないし、嘘は絶対書かない。推薦した学生がカスだったら私の沽券に関わるので簡単に推薦状を書いてもらえると思うな(カスども)!」という内容でした。

衝撃的だったのは、『米欧,とくにアメリカの大学院では,クラス(同じ学年の大学院生の集合)で上位2分の1あるいは3分の1に入らない学生は,徹底的に差別されます。』というくだり。

林先生が関わる超一流の大学院ともなればそうなるのでしょうか…。

アカデミックで生きていくためにはそのような覚悟が必要なのかもしれません。

一番じゃなきゃ、意味がない。

英国大学院のオンラインコースで差別されることはありません。

教える側も学ぶ側も超一流の大学院とはスタンスが違うことがひとつの原因かもしれませんが、リアルで対面することが(通常は)ないことが大きいように思います。

差別には集団を維持するための進化的な意味合いがあるのではないだろうかと思っていましたが、最近こんな本が出ていたようです。非差別が社会的正義だと知っていても、生き物としての自己保存と自己利益の最大化戦略が差別を生んでしまう。

少し話がそれましたが、推薦状を書いてもらうにしても人のつながりが大切なわけです。

大学院出願の際に改めて思いました。

MPHについて・序

MBAについて一息ついたところで、現在履修中のMPHについても言及していきたいと思います。

もともと人類学を志したこともあり、社会学系の学問にはずっと興味を抱いていました。

社会医学や公衆衛生学は医師国家試験の必修科目のひとつですが、医学の中では決して花形の分野ではありません。どちらかというと日陰の分野です。

ただ、日本においても各疾患データベースの構築とビッグデータ分析が政府主導で行われるようになり、この分野は大きな注目を集めています。

さらに、COVID-19パンデミックもあり、公衆衛生学はさらに注目を集めることとなりました。

とはいえ、MPHはPublic Healthとは一体何なのか?を学ぶコースであり、データ分析の手法のみを学ぶわけではありません。データ分析については大学院博士課程および過去の臨床研究において、ある程度学んできたので特に新しい学びがあるわけではありません(Applied Epidemilogyなど統計解析を深く学ぶ講座もありますが、私は受講しない予定です)。

私がPublic Healthを学ぼうと思ったきっかけは、パンデミック対策に関して”モヤっ”としたからです。

例えば、ロックダウン、ソーシャルディスダンス、ワクチン接種キャンペーン、マスク常用、アルコール消毒など、パンデミックを抑えるのに有効とされた種々の対策がありますが、果たしてリアルワールドにおいてどれくらい有効であるのか(であったのか)疑問を禁じ得ませんでした。

質の高い無作為化比較試験のエビデンスも出てるし、有効性は立証されてるやろ!

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも、臨床試験の結果は”整えられた”状況におけるものであり、しばしばリアルワールドの結果と乖離します。この辺は自分で臨床研究計画を立て、研究を走らせた経験がある人には分かると思います。

COVID-19パンデミック対策に関する論文を検索するとそれはもう賛否両論の嵐で研究者の見解は全く一致していません。

製薬会社や関連する企業から資金援助がないか、研究者のバックグラウンドはどうか、など利益相反の問題も大きく、エビデンスは発表された結果通りに鵜呑みにするのは危険です。

それから、研究の再現性でもお話したように、もう一度同じ臨床試験を行っても同じ結果が出るとも限りません。

私は患者さんを診る実地医家ですが、パンデミック対策を主導するのは政府や感染症・公衆衛生学の専門家たちでした。

彼らは他人(主に先行する欧米の研究者たち)が報告した「エビデンス」を論拠に(もちろん我が国におけるエビデンスもありますが)、パンデミック対策を練ってきたわけですが、全体的な視野に欠けていた点は否めないと思います。

また、政府広報やマスメディアを利用したtop-downの情報提供ばかりで、個人やコミュニティーのbottom-upがほとんどなかったように思います。少なくとも私はそう感じました。

パンデミック対策には人々の生活・教育・経済を制限するかなり強いものが含まれますから、必ず人々の同意を得る必要がありますが、説明は不十分でした。

正しい情報を分かりやすく伝えることができる魅力的な人もいませんでした。

健康は、身体的・精神的・社会的(さらにはスピリチュアルもという考えもある)に健やかな状態と定義されます。単に、病気でない状態、ではないのです。

医学の専門家の多くはいかに病気でない状態にするかに囚われていたように思います。致死率の高い感染症であれば仕方のないことですし、対応は難しいと考えますが、リスク-ベネフィットのバランスのとれた我が国らしい道を示してほしかったです。

自分にそれができるか分かりませんが、公衆衛生について学びを深め、人々を幸せにする医療とは何かを知りたくて、University of Manchester Master of Public Health programmeに入学することにしました。

観の目

“観の目“という言葉をご存知でしょうか?

宮本武蔵の「五輪書」に出てくる言葉で、武道・武術を学ぶ者にとって極めて重要な言葉です。

人と対した時、一点を見ない、全体を見る。

相手の目、手、足、一部の動きに意識を囚われないようにする。相手の体全体を見て全体の一部として動きを捉える。

大雑把に言うならば、“ぼんやりと見て、的確に変化をつかむ”。

道場生にも日々指導していますが、相手を同じ次元(線・面・高さ)で見るのではなく、相手を頭上から見渡すように見るように意識する。※上から目線、ではありません!

間違っているかもしれませんが、これが私の解釈です。

宮本武蔵は武人ですから、武道・武術の範疇での解釈になりますが、実はこの言葉、社会生活における対人関係に応用が効きます。

仕事においても家庭においても、人を一点・一面の特徴から見てしまうと、その人の本質を見誤ります。

きっと、気に入らない点や面は鼻につき目立ち、自分の心が囚われてしまいがちなのですが、一旦離れて見てみると、それがその人のほんの一部でしかないことに気づくことがしばしばあるのではないでしょうか。

“観の目”は、瞬間的には人を全体で見て、経時的にはその変化に注意することの大切さを表しているのだと考えます。

刹那に囚われないこと。

自分も相手も、人間は変わりゆく存在です。

“観の目”をもつことができれば、敵対関係で負けることはないでしょうし、対人関係も円滑になるはずです。

MBAについて・Q2

前回、MBAのDissertationを学術誌に投稿しようということになった話をしました。

Supervisorの指導教官に論文を修正してもらい、美しいBritish Englishの論文が完成しました。

私のわがままを聞いてもらい、最初はSocial Science & Medicineという社会医学系の学術誌に投稿しましたが、あえなくReject。

その後、ElsevierのTransferシステム(かなりテキトー。キーワードだけで投稿先を選択している感じでpoorです!)により老年医学系の雑誌に投稿されましたが、Editorial decisionにてReject!

この経緯を共著者に説明したところ、「お前の論文はMBAの論文でビジネス関係なんだから、ビジネスの学術誌に投稿せいや。」とsupervisorのTaTa先生にご意見いただきました。

TaTa先生の投稿指定先はJournal of Business Research!

私は医学関係の学術誌以外は門外漢ですが、この学術誌、インパクトファクター10以上の超一流学術誌ではないですか。

TaTa先生はその後もメールで、「お前の論文はマーケティングにも関連するのだから、Journal of Marketing (IF: 17.741)とかJournal of Consumer Research (IF: 8.612)もいけるやろ。」とかなり強気のご提案。

先日、Journal of Business Researchに投稿したのですが、これからRejectに次ぐRejectを受けるのだろうなあとちょっと暗澹たる気分になりました。

しかし、専門ではないですが失うものもありません。

果敢にチャレンジしようと思います。

無事どこかにacceptされたらまたご報告いたします。

私にとって最も糧となったMBAの学びは、Dissertationを書きながらHealthcare managementについての文献に触れ、この分野をさらに学びたいと感じたことです。

経営戦略論・ファイナンス・サプライチェーン・リスクマネジメントなどいろいろな分野についてさらっと学びましたが、起業しようとか会社を大きくして利益を上げようとかは思いませんでした。

それぞれ組織を運営する上で必須の知識であり、自分の関与する組織運営に活かすつもりですが、私に響いたのはそうした個人的な視点ではありませんでした。

少し大げさですが、人間社会全体のマネジメントとして自分にできることは何かを考えるきっかけになりました。この辺はMPHでの学びにつながっていきます。

高校・大学のときに志した人類学の視点に、二十数年の時を経て戻ってきたような気がします。

広い視野をもち、自分の専門的な視座から社会をどのように見るか。そして、見えたものをどう捉えどう関わっていくのか……。

十年後にまた振り返りたいと思います。

研究の再現性

少し古い話ですが、Natureの調査によると50%以上の研究者が研究結果の再現性に危機感を抱いているということが分かりました。

インパクトの大きい研究結果は注目されやすいですが、目新しい研究の再現性は決して高くなく(概ね50%未満)、必ずしも普遍的な「真実」とは言えないようです。

人間が行う研究には様々なバイアスが入ってしまいます。

世に出て注目される研究は、ほとんどすべてが”ポジティブな”研究結果です。研究計画で定めたアウトカムに有意な結果が出なかった場合、多くの研究は論文として出版されることはありません(出版バイアス)。

本当は”ネガティブな”結果が真であるにもかかわらず、バイアスのかかった”ポジティブな”結果ばかりがエビデンスとして発表されてしまう、こともあるわけです。

上の図は有名なエビデンスレベルピラミッドですが(出典:日本先進医療臨床研究会のページhttps://jscsf.org/therapeutic-material)、一番エビデンスレベルが高いとされるシステマティックレビュー・メタアナリシスであっても、バイアスとは無縁ではありません。

最近ではこのエビデンスレベルピラミッドは古い概念となりつつありますが、バイアスの少ない研究が信頼性が高いということは間違いありません。

どうしたらバイアスがなく再現性の高い研究を行えるのでしょうか。

研究の質を高めるガイドラインはいくつかあり、論文を発表する際にそれに準拠していることが求められる学術誌もありますが、あくまでも自己申告であり客観的評価が難しい。

人間が行った実験・研究を人間が評価すること自体に限界があるのかもしれません。

Frontiersという出版社(一時期Beall’s Listに載りハゲタカ雑誌と揶揄されましたが、少なくとも現在はそれなりにきちんとした学術誌になっています)は投稿された論文の初期評価をAIが行っているようです。

剽窃・盗用がないか、英語は正しく使われているか、重複出版ではないか、倫理的に問題のある研究ではないか、など自動的に判定されますが、今後はこのようなAIによる研究の質の評価を積極的に行う必要があるでしょう。

一定の基準を満たさない研究は査読に回らないようにすれば、論文の質もある程度向上すると思います。

研究の再現性についてもAIが判定してくれたら良いのですが、そのためには人間が再現実験を複数回行い、そのデータをAIが学ぶ必要があります。

研究の再現性の問題はまだまだ研究者たちを悩ませることになりそうです。