気が付けばこのブログを始めてから2年以上が経ち、記事の数は100件以上になりました。振り返るとどうでもいい内容の駄文ばかりです。
ブログという古いツールを使い、大して読者がいるわけでもないのに情報発信を続ける理由は一体なんなのだろうと疑問に思いました。
ブログを始めた当初は「大人になって学問を始める良さをみんなに知って欲しい」という、何様のつもりか思いあがったことを考えていたのですが、書いているうちにそんな自分勝手なことは考えなくなりました。
どこぞのブログでとりあえず100件は記事を書き続けろ、とあったので100件までは書くことを決め、誰かの役に立つとも知れない駄文を書き連ねてきました。
2025年も1/2が終わろうとしていて、この時代の変革期に、もう一度ブログを書く理由について考えてみました。
当初の目的とは違いますが、ブログは自分の子どもたちのために残すことができるのではないかと気付きました。子どもたちが読むかどうか、読みたいかどうかは別として。
私には日記を書く習慣がありません。自分が経験したことを振り返ったり、新しく気づいたことをメモしたりする習慣もありません。
自分が生きている/生きていた証拠をデータとして残した方が良いのか、よく考えた方がいいかもしれませんが、普段子どもたちに話さないことを書いているので、父親としての側面以外がここから垣間見れるかもしれません。子どもたちとは積極的に話すようにしていますが、話し言葉と書き言葉では伝わるものも違うでしょう。
2025年は、戦争の一年のような様相になってきました。
わが国の経済はインフレになりつつも国民のデフレマインドは変わらず、長い長い不況の出口が見えません。変革の時代を生き抜くため信頼できる(政治的)リーダーもなかなか現れません。
子どもたちが大人になって活躍する時代は良いものにしなくてはいけないという焦燥感のようなものを感じています。
人間は生まれてから死ぬまで学び続ける生き物です。ここに書くことが彼らにとって何かのヒントになることを願い、また少しずつ書こうかなと思います。
