ネットやソーシャルメディアでしばしば目にするのですが、世の中が刹那的で利己的で、拝金主義が蔓延していることを嘆く、東京大学鈴木宣弘教授のお言葉のようです。
(鈴木先生のことはよく存じませんが、日本の食糧自給率を向上させるように訴えていらっしゃるようです。この記事は鈴木先生の主義主張とは全く関係ありません)
言い得て妙だな、と思います。
この言葉は人間の発達段階に当てはめて考えると、共感力が発達していない3歳児くらいのレベルを思い起こさせます。
今が楽しくて、食べたいものだけをお腹いっぱい食べて、自分の望みだけ叶ったら、幸せ。
現代社会は幼稚である、と言われているような気がします。
ティール組織の組織モデルの進化段階になぞらえば、完全に「レッド」(衝動型)です。
現代社会は実は原始的である、ということかもしれません。
3つの中で”今だけ”と”自分だけ”はある意味仕方がないことかな、とも思います。
人間は進化してきた生命体とは言え、三次元の生き物であることに変わりはないので、今という時間と自分の個体を最も大切にするのは生き残るために必要な戦略です。
しかし、”金だけ”はなんというか、個人の価値観の問題とは言え、合理性もない気がします。
そもそも、お金はそれだけでは価値を持ちません。
とはいえ、お金がなければ生活できないですし、お金が人生を豊かにしてくれる手段であることも間違いありません。私もお金を増やしたいと思いますし(なぜ増やしたいのかよく考えるとよく分からなくなるけど)、将来のことを考えてお金の心配をします。
ある意味お金に捉われています。
資本主義経済の世界に生きる上ではお金に依存するのは仕方がないことですが、これからの時代、資本主義に代わるイデオロギーというかシステムが果たして生まれるでしょうか?
それは人間社会最高のイノベーションになるかもしれません。
「時」も「お金」も「自分」も”だけ”では世の中成り立ちません。確かに今だけ、金だけ、自分だけの人がいる一方、誰かが世の中を支えています。
21世紀に入りすでに20年以上経ちましたが、人間のコミュニティは実生活とネット上に無数に存在するようになりました。
今だけ、金だけ、自分だけ、は旧世紀的思考なのかもしれません。若い人たちはきっとそんな風には考えていないでしょう(そう信じています)。彼らにとって老害になりうる私たち以上の世代がお金や自分の利益だけに囚われてしまっているのではないか。
時代は動いている気がしています。
