2025年からの人生指針として、“所有よりも共有、ownからshareへ”を掲げているのですが、所有欲を滅するのはなかなかに難しい。
そもそも「自分の」物なんて存在するのか、そんな問いから始まったのですが、人間は「自分の」物と「他人の」物をどのように認識しているのか、進化的視点からモデルを作って説明を試みた論文を紹介したいと思います。
「人はなぜ“これは私のものだ”と直感できるのか」を、できるだけシンプル(ミニマル)な計算モデルで説明する。
Boyerは、“所有”に関する特別なモジュールが脳にあるわけではなく、2つの独立した認知システム:
(1) 資源を巡る競争的獲得(誰が先に持っているか、防衛しているか等)
(2) 他者との協力(共有・交換・共同作業など)
この2つが組み合わさることで所有という直感が生まれると述べている。
モデルではまず、環境から得られるPキュー(近接している/使っている/防衛している/手を加えた等の“占有”手掛かり)により「P(A,t,s)」という“占有”表現を記述する。ここで、Aは人物、tは物、sは結びつきの強さである。
一方、協力の可能性がある他者には「Min(A)」というタグ(この人とは協力関係になり得る)が付く。
この二つが同時に満たされると、「L(A,t,s)」=“正当な所有”タグが推論される(仮説2)。
つまり、「占有」+「協力できる相手」→「その人の所有物」と感じる、という単純な組み合わせである。
さらに、LタグはPタグの情報(結びつき強度など)を引き継ぐので、防衛・改変の多さは“より強い所有感”として直感される(仮説6)。
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│ 環境情報 │
│(観察や手掛かり)│
└────┬─────┘
│
┌───────────────┐
│ 占有の判断(P) │───▶ P(A, t, s)
│「Aが物tをどれだけ占有しているか」│
└───────────────┘
│
▼
┌──────────────┐
│ 協力可能性(Min) │──▶ Min(A)
│「Aは仲間(協力相手)か?」│
└──────────────┘
│
(PとMinがそろったとき)
▼
┌────────────────┐
│ 所有推論(L) │──▶ L(A, t, s)
│「Aは物tの正当な所有者だ」│
└────────────────┘
このモデルは、既存の発達心理・比較研究の結果をうまく説明できる。
<正当な所有と単なる占有の区別>
子どもも大人も「盗んだものは本当の持ち物ではない」と感じる。これはPタグ(盗んで“占有”している)だけでLタグ(正当性)が付かない例である。
<先取(ファーストポゼッション)の経験則>
「先に手にした人が有利」という直感は、多くの文化や子ども研究で観察され、単なる順番以上に“使えるものにした最初の人”が重視されると報告されている。
これは先取が強いPキューになり、その情報がLタグに継承される仕組みである。
<労力(手を加えること)の効果>
物に意図的に手を加える・改良する行為はPキューを強め、結果として所有の“強さ”直感(Lタグのs値)を高める。実際「たくさん手をかけたからその人のものだ」と人が言う現象が観察されている。
<文脈による揺れ(ジョークの例)>
同じ“先に知っていた”ジョークでも、パーティーで相手の見せ場を奪う/職業的な芸人から盗む、といった文脈が加わると「競合性」(ジョークが一度しか効果を発揮しない=ライバル資源)や「協力関係」(同じ場にいる仲間/商取引)が立ち上がり、所有直感が発生し強化される。
<“安定した直感”と“曖昧な言語的定義”のズレ>
人は所有を一貫して判断できるのに、言葉で一般原則を説明しようとするとバラバラになる。これはLタグ推論が暗黙的過程だからだと説明される。
<文化差(列に並ぶ/席取りのマナー等)>
どこまで「Min()=協力圏」を広げるか(社会的一般的信頼の広さ)が、非公式な“席”“順番”への所有尊重度合いを左右すると予測される。
<労働や先取以外の多様な所有対象>
ソフトウェアや先物契約など新しい対象にも、Pキュー+協力期待があれば所有直感を拡張できる。
進化的意義(適応仮説):
Boyerは、この“Pシステムと協力システムを結ぶリンク”が進化的に有利な革新=認知的適応であり、所有を尊重し合える相手が増えると相互利益の範囲が広がるため、所有と協力システムが選択され進化した可能性がある。
「誰の」物か?の判断は、順番/労力/文脈/文化の影響を受けるため、一見複雑な判断になりそうですが、獲得競争の順番と協力の強さの2つのファクターで認知されるというモデルでした。
ただし、モデルの前提条件として、人間は獲得競争を行い所有を増やそうとする存在である、という仮定が組み込まれているため、所有欲そのものを説明してはいません。
経済学のモデルと同じように、“人間が合理的に~を求める”という仮定は必ずしも正しくありませんし、しばしば現実と乖離します。人間には一定の非合理性があるので、モデルのみでは十分な説明が難しい。
なぜ人間は所有したがるのかというもっと根本的な問いの回答は得られていません。
所有することが生存に有利であり進化的に選択された、というつまらない説明ではなく、人間の非合理性を含めた面白い研究はないでしょうか。
次回はもう少し深ぼってみたいと思います。
(今回紹介した論文はコチラから)
