3月に退会すると宣言したSigmaXiですが、悩んだ挙句退会しないことにしました。年会費135 USDと会員であることのメリットを天秤にかけ、そうすることにしました。
American Scientist誌3-4月号の記事、「Consciousness: The Road to Reductionism」が面白くて、このような科学記事を年間2万円くらいで読めることのメリットを取りました。
日本には支部がなく、会員であることは普段の仕事やキャリアにまったくメリットはありません。ただの名誉ですけどね。逆に言うと、デメリットもありません。
せっかくなので、面白かった「Consciousness: The Road to Reductionism」の内容を簡単に紹介します。
意識の正体を脳から探る ― 還元主義的視点からの考察
ノートルダム大聖堂、素粒子加速器、AIまでもが、人間のわずか1.5kgの脳から生まれた驚異的な成果である。この脳は私たちに「自己」という感覚、すなわち意識をもたらす。意識は自分自身の行動や思考を観察する「語り手」のようにも感じられるが、その源を脳の働きとして説明しようとするのが還元主義的アプローチである。
近年の神経科学研究では、脳内の神経活動が意識的な決定より先に始まっていることが示されており、「私たちが自ら選択している」という感覚が実際には錯覚である可能性がある。
「自由意志」や「意識による選択」という概念は、今や揺らぎ始めている。
脳のどこが意識を生み出しているのかという問いに対して、かつては前頭前野などの大脳皮質が中心と考えられていたが、やがて記憶や概念形成に関与するより古い部位、特に海馬に注目が集まるようになった。
1950年代以降の研究では、海馬を損傷した患者(有名な「H.M.」など)が長期記憶を失う一方で短期記憶は保たれることがわかり、海馬が記憶形成に不可欠な役割を担っていると判明した。さらに、海馬の「コンセプト細胞」は特定の人物や物体、言葉に反応することで、記憶と意識が強く結びついていることを示している。
また、脳幹に存在する「網様体賦活系」は、睡眠からの覚醒や基本的な行動に関わっており、海馬が機能しないと「何をしたか」を記憶できない事例も報告されている。これにより、記憶がなければ意識も成立しないという重要な洞察が得られる。
1980年代の神経生理学者リベットの研究では、運動しようという意思が意識される前に脳内で電気的な準備活動が始まっていることが示され、人間の自由意志に疑問を投げかけた。
これは「意識が行動を生み出すのではなく、脳活動の後付け説明にすぎない」とする見方を支持する結果である。
一方で、意識に関しては、他の理論も存在する。
パン・サイキズム(全物質に意識があるとする説)や、量子力学的意識論、統合情報理論(Tononi)、グローバル・ワークスペース理論(Dehaene)などであるが、いずれも決定的証拠には乏しく、測定手法(fMRIなど)にも限界がある。
科学的な研究で明らかになってきたことは、意識は神秘的なものではなく、神経活動の結果として説明可能な現象だ、ということである。特に、感覚入力が記憶と統合され、「自己」という感覚が生まれるプロセスにおいて、海馬の役割は中心的である。
還元主義の立場では、精神や意志もすべて神経活動により構成されていると考える。
人間を「精巧な自動機械」とする視点が浮かび上がる。
それでもなお、脳が電気信号から「感覚」→「認知・思考」→「自己認識」へと変換する過程は、まさに驚異と呼ぶべきものである。
”脳内の神経活動は意識より先に始まる”という仮説はいろいろな研究で示唆されています。
Natureに掲載された”Adversarial testing of global neuronal workspace and integrated information theories of consciousness“という論文では、統合情報理論(IIT)とグローバル・ニューロナル・ワークスペース理論(GNWT)が比較検証されています。
どちらも完全な理論ではなさそうですが、「人間の意識は脳のどこに存在するのか?」という問いの解明が進んでいます。
個人的には脳を機械的に調べるだけでは意識の局在を解明するのは難しいのではないかと考えています。
スピリチュアルっぽく聞こえるかもしれませんが、私の考える意識は、パン・サイキズムの考え方—意識は物質から生まれるものではなく、あらゆる物質の基本構成要素(素粒子レベル)に備わっているものである―に近いです。
意識とは何か?を解明するためには、哲学的思考を含めて、固定観念を捨てたアプローチが必要ではないでしょうか。
